痛みの特殊説

特殊説:自由神経終末を痛みの受容器としたvon Freyの説が特殊説の基礎となっている。
1)組織にある特殊な痛み受容器が、痛み線維と痛みの伝導路を介して脳の痛み中枢に投射することによって痛みを感じる。
2)強い刺激にのみ反応する特殊な侵害受容器が存在し、それが痛覚を引き起こすという説。
3)特殊な侵害受容器が存在するという考えは、皮膚に痛点が圧点より明らかに多いという所見に基づいている。
4)侵害受容器は通常活性化されていないが、組織障害を起こすのに充分な強度、あるいは組織障害後に遊離される炎症メディエータに応答して活性化される。

<特殊説に関与する年表>
1826年: Johannes Peter Müller(P 1801〜1858、1810年に創設されたベルリン大学の解剖生理学教授)は「特殊エネルギーの法則 (Müller’s doctrine of specific nerve energies, Code of specific nerve energies)」を提唱した。形態学的に特徴的な受容器が特定のエネルギーを伝導し、その情報をこのモダリティに特化した神経線維を通じて脳に伝える。Müllerは、感覚器官から感覚に応じる脳中枢への直通の系を考えた。当時各々の感覚神経自体に固有な特殊エネルギーによるのか、神経の終末の脳領域のある特殊な性質によるのか、確実にわかっていなかったが、感覚の質は脳の神経終末によって決定されると結論した。

(Müllerは古典的な五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)しか認めず、体性感覚を、単一の感覚系であると考えた。体性感覚の質の多様性は、視覚における、形態、奥行き、色覚など、質的に異なった知覚を単一の統合系統とみなすのと同一であると考えた。)

Weber: weak stimulation excites nerve endings, leading to awareness of body; intense stimulation excites nerve trunks leading to pain

1846年: Charles Edouard Brown-Sequard(P 1817〜1894)は、痛覚の伝導路と触覚の伝導路とは独立して存在することを確認した。 →ブラウン・セカール症候群
1858年: Moritz Schiff(P 1823〜1896、ドイツの生理学者、MagendiePの弟子)は温痛覚を伝える神経線維は脊髄に入ってすぐ交叉するのに対し、触圧覚はを伝える神経線維は同側の後索を上行すると記載し、痛覚は触覚とは独立した感覚であることを示した。
1889年: Ludwig Edinger(P 1855〜1918, フランクフルト)が脊髄視床路が視床まで到達することを発見した。
1882年: Magnus Blix(P 1832〜1904, ウプサラ)が感覚特異性スポット(感覚点)のモザイク様構造を発見し、感覚種のそれぞれに関与する特異的な構造があるということが受け入れられるようになった。
1895年: Maximilian Ruppert Franz von Frey(P 1852/11/16〜1932/1/25, ビュルツブルグ)は以下の3種類の事実から、痛覚系には特殊な痛み受容器があると主張した。

Müllerの特殊エネルギーの原理↑を発展させ、4種類の主要な皮膚感覚の概念を考えた。触覚、温覚、冷覚、痛覚がそれぞれ独立していると考えた。

von Freyは皮膚感覚を探索する機器を作成し、皮膚における温覚と冷覚は点状に分布することから、4種類の感覚点:触点、連点、温点、痛点がモザイク状にあると考えた。

スプリングの先にピンをつけた検査機器を作成し、皮膚を圧迫して痛みを引き起こす圧を測定して、痛点を探索した。von Frey Hairを使って皮膚を刺激すると、触覚を引き起こす触点とは別の部位に痛みを生じる痛点があることを確認し、その直下の皮膚に 神経の自由終末があることを見出した。

角膜中心部では、痛みしか起こらず、組織学的に調べると、受容器と思われる特殊な構造がなく、自由終末しかみられない。

当時の解剖学者は、皮下の受容器を色素で染色して観察し、自分の名前をつけていた。(自由終末と毛包受容器には名前がつけられていない。)

これらの事例から、von Freyは感覚受容器と感覚との関連を推論した。痛覚はどこにでも見いだされることから、皮膚の表層に広く分布している自由終末を痛覚の受容器だと考えた。触覚の閾値が低く、触点が最も多くみられる指先と手掌に多く見られるMeissner小体を、触覚の受容器と考えた。結膜は温刺激に対する感受性を持たず、陰茎は圧刺激に対する感受性を持たないが、両者は冷刺激に感受性があり、end bulb of Krause(クラウゼ終棍)が両者に存在するので、冷感に関与すると推論した。温覚の受容器が決められなかったので、残ったRuffini ending(ルフィニ終末)を温感の受容器だとしたが、これに関しては現代の知識によって異論が挟まれるものである。しかし自由終末が痛覚に関与するという指摘は、今日でも受け入れられるものである。

「Headの2元論」:「触」と「痛」とが違うシステムによるという仮説。

1906年: Sir Charies Scott Sherrington(P 1857〜1952, イギリスの生理学者)が侵害受容の概念を記述した。受容器の特殊性を、特定の刺激に対する最低閾値という用語で定義し、適当刺激という概念を記述した。Sherringtonは「noci-ceptor」という用語を使った。
1926年: Edgar Douglas Adrian(1st Baron Adrian of Cambridge )(P 1889〜1977, ロンドンの電気生理学者)とYngve Zotterman(1898〜1982/3/13, Adrianの門下生、スウェーデンの神経科学者)が初めて筋紡錘を神経支配する単一神経線維から活動電位を初めて記録した。活動電位は感覚神経の終末で発生し、受容器が修飾された情報は、インパルスの頻度を変えることによって伝えられることを発見した。Zottermanらはその後の研究により、Müller↑によって理論立てられた「特殊エネルギーの法則」の概念を明確に示した。痛みは全身に存在する皮膚の受容器に過剰な刺激が加えられた結果ではなく、特殊な受容器に生じた電気活動の結果であることを実証した。
1929年: Herbert Spencer Gasser(P 1888〜1963, アメリカの生理学者)とJoseph Erlanger(P 1874〜1965)による加圧とコカイン麻酔による神経線維の伝導ブロック実験によって、末梢神経軸索の各々に対する特異的適合刺激を決めることができるとするSherrington学派の信条は新たな指示を受けた。
1948年: John R Baker(オックスフォード大学の生物学者、細胞学者)は、脊椎動物のすべてに特殊疼痛感覚があることを示した。
1967年: Burgess とPerlは、Aδレンジの伝導速度を持つ有髄線維が侵害性機械刺激にのみ反応することを報告した。Sherrington P ↑が使った用語「noci-ceptor」を「nociceptor」に変更した*。
1969年: Bessou とPerlは、無髄線維に、ポリモーダル受容器と侵害刺激にのみ反応する侵害受容器があることを報告した。Sherrington P ↑の定義を発展させて、侵害受容器は侵害刺激と非侵害刺激を識別することができるものとした*。
1970年: Christensen and Perlは、侵害刺激に特異的に反応するニューロンが脊髄表層に存在することを報告した。(Christensen BN, Perl ER. Spinal neurons specifically excited by noxious or thermal stimuli: marginal zone of the dorsal horn. J Neurophysiol. 1970 Mar;33(2):293–307. [PubMed])

「痛みの特殊説」に矛盾する点
1)痛覚特有の伝導路があるという点について。
痛みの特殊説に基づき、1911年にEdward Martin(P 1859〜1938, Spillerの同僚の脳外科医)は、コルドトミーを行った。外側脊髄視床路が走っている脊髄の前側索を外科的に切断し、切断部位の鎮痛に成功した。一時期、下半身の激痛を救う最後の手段として隆盛を極めたが、症例数が集まるにつれ、その効果が疑問視されるようになった。手術の危険が高い割に鎮痛効果がはっきりしない場合も多く、効果が得られても痛みが再発する例が多くなり、現在ではほとんど行われなくなった。

2)痛覚に特異的な受容器を刺激するような組織損傷があれば痛みを引き起こされるかという点について
Henry Knowles Beecher(P 1904〜1976, ハーバード大学麻酔学教授)は、第二次世界大戦中にイタリア戦線で、戦場における痛みの研究をした。激戦地から送り返されてくる兵士は重傷を負っているにもかかわらず、ほとんど痛みを訴えなかった。人によってはむしろ、外傷の痛みを完全に否定し、鎮痛薬の投薬を必要ないと断り、喜々としていた。疼痛に対する反応の仕方は心理社会的要因によって大きく変化する。
Beecherの観察は施行(認知)や情緒(気分)が痛みの認知を大きく作用することを物語っている。瀕死の重傷は負っていても、最前線で戦わなくても良いという安心感、喜び、生きているという実感ーそうした認知や情緒が痛みの認知機序に抑制をかけていたのかもしれない。病院に運ばれて医療を受け始めると、その戦士達も筋肉注射のようなわずかな痛みにも反応したようだ。

3)前頭葉ロボトミーからみられる考察
重傷な精神科症状の軽減を目的として、施行されたロボトミーを受けた患者の多くは、明らかに痛いはずの時でも、「痛みは感じても気にならない」と痛みに対して無反応であり、鎮痛薬の投薬の要求もしなかった。
—感覚情報を皮質に送る視床と前頭葉との結合線維を外科的に切断すれば、痛み刺激に無頓着になれる。

4)パブロフのイヌからみられる考察
電気ショック、熱傷、切り傷などによる痛み刺激を加えた直後にえさを与える実験を繰り返すと、はじめは激しい痛みを訴えていたイヌが、次第に痛み刺激があたかもえさを与える合図であるかのように反応するようになり、いつの間にか痛みを感じていると思わせるような反応を一切しなくなる。
—痛いはずの痛み刺激が快感の始まりの合図になりうる。痛覚の伝導路を伝わって中枢に達した信号は、いかにして痛覚となるのかは説明できない。